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タンポポの綿毛が風に乗って種子を運ぶように私たちの思いが​苦しんでいるあなたのもとへとどきますように。


by 関西薬物依存症家族の会

生きていてよかった。

川崎の事件が頭に浮かび、第三者に危害が及ぶかもしれないと思い、長男を刺し殺害に至った、という報道を目にした。

息子を殺してしまおう、死んでほしい、そう思ったことはない。
けれども、私と息子はこのまま野垂れ死んでいくのだろう。
そう思って、過ごす毎日だった。
ダメ、絶対。人間やめますか?
そんな言葉が、頭の中を駆け巡り、心が少しずつ死んでいった。

中学時代から荒れていた息子は、高校には進学したくないとてこでも動かなかった。
親としては、将来を考えてせめて高校は卒業させたい。
なんとかなだめて、仕事をしながら単位制高校に通うことに落ち着いた。
その頃、息子がシンナーを使っていることが発覚した。
誰に相談したらいいかわからなかった私は(10数年間なので情報が少なかった)息子を気にかけ、なにかと救いの手を差し伸べてくれた中学時代の担任の先生に相談した。
幸いなことに、先生の親戚が警察官だったこともあり、薬物事犯を受けている病院を紹介してもらった。
夫と私はなんとか息子を連れて、病院にでかけた。
けれども、医師から言われたことは
「もう仕事もしてるんだから、息子さんを成人とみなして、シンナーの代わりにお酒を飲ませたらどう?お酒は害はないよ。ご両親も許してやって」
薬物事犯を受け入れている病院の医師の言葉を信じ、バカな親は病院の帰りに酒屋に立ち寄り、お酒を息子に与えた。
危なく、息子を薬物依存とアルコール依存にするところだった。

しかし、シンナー使用は止まることはなかった。
時が経ち、シンナーの匂いは消えたが、大麻、覚せい剤へと息子の薬物使用は加速していった。
私には薬物使用の経験はなく、それまで薬物を使用している人を見たこともなかった。
だから、一緒に生活している息子が大麻、覚せい剤を使用していることに長い間気づかなかった。
親のクセに、気づかなかったのか?と責められることもあるが、彼らは上手に隠すし、ほんとうにわからなかった。
それでもいつかは、おかしな行動をするようになる。
気づいた時には、かなり症状は進んでいた。
覚せい剤を使用している…あまりの衝撃で震えながらも、私はなんとか情報を集め、薬物依存症者が通うクリニックを見つけた。
藁をもつかむ気持ちで、嫌がる息子を連れて受診。
待合室で5時間くらい待ったころ、やっと名前を呼ばれた。
ただでさえ嫌がっている息子を、5時間も待たせる苦労は並み大抵のものではないとご想像いただけるだろうか。
あぁ、これでやっと助かる、そう思ったのも束の間、また私は奈落の底に突き落とされた。
「彼はまだ10代。若いから、自助グループに通っても無理だよ。今はどうすることもできないね、お母さん。お母さんが家族のための自助グループに通っても、どうにもならないね。まあ、様子を見てなにかあったら、また来なさい」
なにかあったら、ってなに?
事件を起こしたら、ってこと?
家族の自助グループも役に立たない?
じゃあ、私たちは、どうやって生きていったらいいのだろう。

それでも、明日はやってくる。
絶望しかないけれど、生きていかなければならない。
それからの数年は、苦しさや苦痛に無感覚になり、家を一歩でるときには笑顔と陽気さで完全武装。
助かる方法がないのなら、なんとしても私たちの問題を隠さなければならない。
息子以外の家族を守らなければならない。

自助グループに繋がらなかったら、薬物依存症が回復可能な病気だと知らなかったら、息子より先に私が壊れていただろう。
繋がる先を見つけてよかった。助けを求めることができてよかった。
私は幸運だった。

だから今思う。
幸運だった、ではいけない。
それが当たり前にならなくてはいけない。
困ったら相談できる。
そして相談したら、支援に繋がることができる。
それが普通にならなければいけない。
そうなるよう、私たちも行動していこう。

生きていてよかったね、私たち。
助けてくれた仲間たち、そしてたくさんの人たちに今日も感謝。

そして、今苦しんでいるあなたへ。
どうか諦めずに、相談してください。助けを求めてください。
自助グループにどうぞ足を運んでください。

  *NINA*





by familiesofaddicts | 2019-06-04 11:53 | Comments(0)