他者のことは分からなくていい
2019年 06月 20日
薬物依存症の家族にとって依存症が問題であることを認めるのに時間がかかります。
娘に対して抱いていた将来のイメージは消え去り、いったいどうやって生きていくのか途方に暮れてしまいました。
未来へのささやかな希望が苦痛とともに消え去る様な、一般的な日常的に起きる喪失感をはるかに越えたものに感じました。
常軌を逸した行動に巻き込まれて押しつぶされそうなのに、忍従の日々を送りながらいつか終わるはずと考えていたのだから病的でした。
それは自分を誤魔化して現実を自分に知らせないようにして、過重な負担をかけないようにする防御策。
現実の脅威から精神的に自分を守ろうとしながら、行動は我慢の限界を超えているのに同じことをやり続けている…
依存症の問題があると認めて自分の憤怒を表面に出してしまうことは、苦しさを長引かせない方法の一つです。
だけど嘆き悲しむ姿を依存症者に見せて、これだけ傷ついていると分からせようとするのは取り引き。
同じような経験をした仲間に感情を打ち明けてこそ、気持ちは解き放てます。
今まで抑圧してきた感情をすぐには話せなくても正直な気持ちに気づく第一歩、今までにない解放感を感じます。
もう一人で依存症という病と闘わずに済みます。
それがどんなに安心できることか、自分自身の情緒面の問題にのみ向き合えるから…
悲しみや不安や怒りの感情から問題に気づき喜びや温もりから快適さを感じるように、感情は生きる指針にもなるわけで…
と考えれば娘も自身の感情に正直に向き合い、ありのままの自分を認めていくことが回復に繋がるというコト…
それは、私の仕事ではなく彼女の課題だということ
どう考えても他者の感情を推測して、変えようとするのは無理なことでした。
自分の気持ちさえ誤魔化すことがあるのに…
感情を無視しないようにせねばと日々思います。
説明のつかない感情もあるのだけれど、そんな時は仲間の中で「わからない~」と言えるようになりました。
Luna