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私だけの私。

三連休の初日は、大学のOB会に出かけた。
久しぶりの京都。
開始時間より早めに出かけて、昔よく通ったカフェに立ち寄った。
有名なカフェなので、観光客でごった返していたけれど、運よく常連さんたちがゆったりとコーヒーを楽しむカウンター席に案内してもらえた。
もう何十年もそこで働いている方が今も健在で、その方の仕事ぶりを眺めながらコーヒーを楽しんだ。
そこから、すっかり学生時代に戻った。
64歳~58歳までの参加者25名。今年は参加者が少しすくない。
姿かたちは変わったけれど、受付を済ませたみんなは学生時代に戻る。
会話の中に、子どもや孫の話もたまには出てくるが、ほとんどは音楽の話や、ばかみたいな話しに大笑い。そんな時間が過ぎていく。
そこには、その人の家庭や、仕事の気配はなく、ただその人だけがいる。
一年に一回、他の何者でもなく、大学時代の仲間という時間を過ごす。
それがなんとも心地よい。
最終電車で帰途につきながら、ああ、私の人生まんざらでもない、とひとりほくそ笑んだ。

思えば、生きてきた年月の半分は、妻であり、母であった。
薬物依存症者の親というありがたくないオマケもついた。
誰かのために、家族のために奔走する日々。
その渦中にありながらも、私は私を見失わないようにと歯を食いしばったが、いつしか迷子になり、出口を探して迷走していた。
出口を探しているつもりが、気づいたら下へ下へと穴を掘り続けていた。
自助グループに通い、プログラムをやるようになり、私が向かっていたのは穴の底で、底にぶち当たってもなおもっと深くへと穴を掘り続けていたのだと気づいた。
あまりにも深い穴にいたので、地面に顔を出すには、ずいぶん時間がかかった。
久しぶりに陽の光の下で、ひとり歩を進めるのは足元がおぼつかなく、一緒に歩いてくれる仲間が必要だった。
少しずつ少しずつ、ひとりで歩けるようになり、時々仲間が一緒にいなくても歩けるようになった。
正確には、一緒にいなくても私には仲間がいるとわかるようになったから、大丈夫だと信じることができたのだ。
そうやって、だんだんとテリトリーを広げ、いろいろな人と繋がっていった。
しばらくすると、妻でもあるし、母でもあるし、薬物依存症者の親でもあるけれど、私だけの私でもある、と思えるようになった。
そうしたら、とても楽に生きることができる。

大学時代の仲間たちと私はーあの先輩も、この後輩も、そして気の置けない同年代の彼らもーひとりの人としての時間を共有したのだ。
そう感じることができた私は、回復を続けているんじゃないか、と思う。

*NINA*







by familiesofaddicts | 2019-09-17 14:22 | Comments(0)