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タンポポの綿毛が風に乗って種子を運ぶように私たちの思いが​苦しんでいるあなたのもとへとどきますように。


by 関西薬物依存症家族の会

どうして、あの時!

息子は、兄さんの影響で年長さんから軟式少年野球を始める。
野球が大好きで、生き生きとプレイをやりジュニアの時からキャプテンをやっていた。

でも、彼は極端な鈍足!

試合で息子が走塁する時、相手チームから笑い声が聞こえる。
(息子の走りを見て、笑っている。)
味方の観客の親からも笑っていた。
小学校の低学年の時は、それが微笑ましくも思え、可愛かった。

しかし、息子の成長に伴い、その試合での笑い声に耳ざわりが悪くなる。
「俺の息子を、笑いものにするな!」という気持ちに、どんどん変わっていった。

キャプテン・ピッチャー・キャッチャーとやり、地域での少年野球の試合でも好成績を残していた。
小学6年生の最後の地域の大会で、優勝!!
地域の各チームから、選抜してオールスターチームを作り、他の地域のオールスターチーム同士で試合をする。
優勝チームの監督がオールスターの監督となり取りまとめる。

イベント的な要素があり、地域の優勝チームのキャプテンは必ず試合にはでていたし、選抜される人数枠も多い。
しかし、息子の時の監督が「今回のオールスターは勝ちに行きたい!」との発言。
息子は、選抜から外された。
プレイは良くても、「足が遅い」それで外された。・・・と思う。

その時は、とても息子とその件について話せなかったし、息子からも話しが出なかった。
息子はオールスター出場が一つの目標でもあったし、優勝したので当然出れると思っていたと思う。

しかし、練習途中で他チームの監督・コーチから「それは、ないんじゃないか!」との事で、途中で急遽オールスターに合流する。

試合後半になったら、スタメン以外のメンバーは息子を除いては皆、守備やバッターボックスに立てていた。
試合の、打ち上げである古株のコーチが「試合には負けたけれど、最後はみんな試合に出れて良かった!」との発言!
その声は息子にも聞こえていた程の、酔っぱらいの大声だった。
その日以降、息子からこのオールスターに関する言葉は出て来ることはなかった。

そんな事があっても、野球が大好きな息子は中学生になり、硬式野球チームに入る。(いわゆる外野球)
そこには、小学時代の軟式少年野球時の相手チームのメンバーとかがほとんどである。
練習の「ダッシュ トレーニング」の時は、いつもフライングをしていた。

フライングして足が遅いのを目立たない様にしていた。
はた目からは、よくわかるが、本人はその事にめーいっぱいだっただろう。
練習から帰ってきても、一人で素振りやランニングに行っていた。

記憶が曖昧であるが、息子が「野球を辞めたい」と言ってきたのか?
なんのタイミングで言った事かは覚えたいないが、
「お前、めーいっぱいやったのか!オールスターの事悔しくないのか!」と、息子が口にも出さなかった辛い事を、ナイフでグリグリえぐる様に押付けていた。
素直でまじめな息子は、オヤジの言われるがまま、黙々と練習を続けていた。
内心とても本人は傷ついていたと思う。
いや、息子の小さな反応があったと思うが、それを気付く余裕が私になかったかもしれない。

今の私だったらその様な接し方はしないが、あの時の自分は息子にその様な接し方しかできなかった。
過去の事を今さら後悔しても、仕方がない。
今このブログを書いていると、過去の記憶がどんどん蘇ってくる。
ちょっと辛くなってきているかな。

私は、思います。
辛い記憶は、蓋をするように忘れるのではなく
しっかり受け止めたほうが良いのでは?と・・(私の場合は!)

いままで私は、自助グループの仲間の前で何度も涙を流してきた事があります。
そのたびに、仲間は言葉が詰まってもじーっと耳を傾けてくれていました。
流した涙(本当の涙と心の涙)の数だけ、少しづつ気持ちが解放されて後悔が薄れていくような感じがする。

なんかの引き金で、息子の「過去の人生」に対して「すまない!」という罪悪感が時々顔をのぞかせる時がある。
自助グループの仲間はそれぞれ状況は違うが、私を理解してくれて気遣ってくれる。
押し殺している辛い記憶の気持ちを涙と一緒に流し、息子への罪悪感を開放していきたい。

GENGEN







by familiesofaddicts | 2019-12-08 07:54 | Comments(0)