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タンポポの綿毛が風に乗って種子を運ぶように私たちの思いが​苦しんでいるあなたのもとへとどきますように。


by 関西薬物依存症家族の会

父の命日

今日は、父の命日。
どうしてもこの日にお墓参りに行きたいという母のリクエストで、午前中の仕事を休んでお寺に出かけました。
次男にダメもとで連絡すると、同行できるという返事があり、3人で父の墓前に手を合わせることができました。
父は次男が薬物依存症になる前にこの世を去ったので、次男の問題を知りません。
もし、あの頃生きていたら、父はなんと言ったでしょうか。
悲しんだだろうか?がっかりしただろうか?
私は勝手に父の気持ちを想像して、次男を可愛がっていた父があの頃の次男の姿を見なくてよかった、がっかりさせたり、悲しませたりしなくてよかったとずっと思っていましたが、お寺でお経をあげてもらう待ち時間の間にあれこれ考えました。

母も甘えん坊の次男をとても可愛がっていました。
薬物の問題がわかった時、母には話しませんでした。もちろん他の親戚にも話しませんでした。
なんとか家族だけで対処して、秘密裏に解決したい、解決できると思っていました。
けれども、どんどん問題は大きくなり、秘密にするために私も嘘をどんどん重ねなければならず、精神的にも追い込まれていきました。
母もなにかあると気づいていたかもしれませんが、私は「思春期の暴走でやんちゃが過ぎるだけ」と薬物の問題を隠し誤魔化し続けました。
大麻所持で捕まった時に隠し通すことができなくり、初めてそのことを打ち明けました。
「そうか、大変だね」としか母は言いませんでした。
それ以降、次男は覚せい剤を始めいろいろな薬物を使用するようになっていったのですが、詳しいことは母には話しませんでした。
薬物の問題を抱えているということだけ、母は知っていたということです。

それから数年後に次男は回復施設に入所しました。
その時にも、回復施設に入所したのでしばらくは会えないよ、とだけ母に伝えましたが、母は「わかった」と言ったっきり。
時が経ち、次男が薬物を使わない日々を過ごすようになり、母と再会した時にもすんなりと母は次男を受け入れていました。
なんだか拍子抜けするくらい、わだかまりなくごく普通に次男と話していました。
今日も、父の墓前で嬉しそうに次男と一緒に手を合わせる母の姿を見て、父が生きていたら父も母と同じように次男を受け入れてくれたかもしれないと思いました。
次男がこうして生きていて、一緒に話しをしたり、ご飯を食べたり、それだけでええやろ。他になにを望むことがあるんや、と父が言っているような気がしました。
そう思うと、今ここに父の姿がないことが残念でなりませんでした。
その時、次男が言いました。
「今ここにおじいちゃんがいないことが残念やなあ。話がしたいなあ」
次男もまた同じことを考えていたのかもしれません。

  *NINA*




by familiesofaddicts | 2020-01-21 16:47 | Comments(0)