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それぞれの記憶

前回のブログでお話した、妹の入院中の出来事です。
手術自体はそんなに難しいものではありませんでしたが、もう少し発見が遅かったら死に至っていたという病状でしたので、術後もしばらく妹は感情の起伏が激しく、手術したばかりだから仕方がないよね、と深呼吸しながらやり過ごしていた私。
それでも、あまりにおかしなことを言い出す妹に、さすがに私も黙っていられませんでした。
努めて冷静に、いろいろなことを説明していたのですが、話しているうちに過去の出来事についての妹の記憶が間違っていることに気づいたのです。
えええっ、それは事実と違うよ。感情的なことなら訂正できませんが、状況の間違いだったので正確な情報を伝えました。
そうか、そういう風に間違った記憶をベースにその出来事を見ていたら、きっと怒りも湧くよね、と変なことろで納得。
ずっと何十年もそのことで家族を恨んでいたのなら、ほんとうに可哀そうだなあ、と思いました。
これは状況の訂正ができたからよかったものの、同じ出来事でも人それぞれの感じ方は違うことは多々あり、あなたの感じ方は違う、と訂正することはできません。
そこがとても厄介。
自分以外の人のことは、変えることはできない、と考えるほかありません。

同時期に、次男との間にも同じようなことが起こりました。
次男の回復のストーリーに関する記事を目にしました。
基本的に私は彼がメディアに出たり、なにかの記事に出たりすることには何も言いません。
アノニマスではなく本名ででていることには、私のアノニマスを脅かされる恐れや不安はありますが、彼は彼の人生を生きているので、そこは彼の意志を尊重しています。
ところが今回の記事には、私の写真が使われ、私についても触れられていました。
彼が依存症真っ只中の頃のことなので、「ああ、それが彼の真実なのだなあ、彼はそんなふうに感じていたんだなあ、そうか、私の思いはあの頃の彼には届いていなかったんだね」と今になっていろいろ知りました。
その一方で、「そりゃ、あの頃は依存症が何なのかも知らなかったし、私は間違ったことをやってしまった。でもなんとかしようと必死に毎日生きていたんだよ」と、やはりショックだったし、凹みました。今更?なんで今この時なの?と思いました。
息子の真実と私の真実は違う。それぞれの記憶は違います。
その当時の息子には、息子の苦しさがあり、私には私の苦しさがある。それを理解し合おうとするのは無理です。
そもそも親子といえども別の人格だし、立場も違います。
その記事について息子とたくさん話をしましたが、やはり親子で話すとお互いプログラムをやっていても、どうしても感情的になってしまいました。
仲間やスポンサーに話すことでわかったことがあります。
お互いの気持ちや感情を理解するのではなく、「そうか、あなたはそう感じたんだね、そう思ったのだね。」ということがお互いにわかる、でいいんだなあ、とわかりました。
それにしても記事にするなら、私の側の真実も聞いてほしかったなあ、せめて事前に了承を得てほしかったなあ、という私の気持ちを思い切って発信元に伝えることができたのは、プログラム効果だと思っています。自分の気持ちを正直に伝えたことで、ネガティブな感情は消えたので、ほんとによかったです。

記憶は、懐かしさや、暖かさを呼び起こすものでもありますが、一歩間違えば恨みや怒りを増殖させる厄介なものですよね。
けれども、息子が薬物依存症の真っ只中にいた頃の辛く苦しい記憶は、たくさんの人たちに助けてもらったことや、仲間たちとの出会いで、私の中でどんどん幸せな記憶にアップデートされていっています。
「ほらほら、あれすごく楽しかったよね」「そうそう、あれ面白かったよね」とそれぞれの明るい記憶を持ち寄って、過去りし日々を懐かしむ、そうやって生きていきたいものです。
   
   *NINA*




by familiesofaddicts | 2020-09-29 16:46 | NINA | Comments(0)