共依存
2023年 05月 29日
🐌次回の相談会は6月18日です 🐌
2年前。最近頭痛薬の減りが早い、今度は痛み止めの依存?と思っていたら、娘が目の奥が刺されるように痛いと言う。これはおかしい、と思って脳外科へ。クモ膜下出血で大学病院へ入院になった。珍しい出血の仕方で沢山検査を受けた。
覚醒剤を使うと、脳出血を起こす事があるのは知っていた。でも、まさか娘に限って・・・。
退院後、娘から覚醒剤を使ったと聞いた。急激な血圧の上昇による血管の破裂だった。
先生から、「今度同じことが起こったら、死ぬこともあり得ます」と。なんでここまでするん・・・
精神科の主治医の事は絶対的に信頼していて、覚醒剤の事も話していたらしい。
私は「何で私に言ってくれなかったんですか?!」と先生に食ってかかった。
「信頼関係が壊れますから。薬物依存症は死ぬ事もあり得る事は知っているでしょう?それに、知ってたからと言って、お母さん何かできますか?」私は主治医に裏切られた気がした。
それからも自殺未遂・自傷を繰り返し、恐ろしくて、可哀そうで、娘の言うなりに動いていた。「死なれるよりマシ」と、買ってと言われた物はほとんど買ってやったし、何時間でも話を聞いた。
満たされない思いを、私が埋めてやろうとしていた。生きづらさを抱え、自分でもどうしたらいいのか分からなかった子。自分で生きづらさに立ち向かっていかないと、どうにもならないのは分かっていても、弱いこの子には無理だろう、一生私が手伝ってやらなくては、とまで思っていた。でも、一向に良くはならず、私も限界になった。本人の力を全く信じてやっていないのだから、良くなる事はなかったと思う。
このままでは、お互い辛いまま、という事がやっと分かった。自助グループ・家族会で「私は私、あなたはあなた」と自分達を分けて考える事を学び、手を放し始めた。回復施設に入寮する時、永遠の別れのような気がして、抱きしめてやりたいのを我慢した。これから娘は自分で生きて行くのだから、邪魔をしてはいけない。私も自分の足で立たないと。離れてやっと、お互い自分の事が出来始めた。
あの辛さを分かち合ってくれた仲間がいればこそ、今の私がある。
感謝。
nao
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