続けること
2024年 02月 13日
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私の父親はアルコール依存症と診断され、治療を受けて断酒できました。もう亡くなりましたが最期まで飲まずに過ごしていました。
治療を受けることになったのは、専門病院に入院する前に運ばれた一般の総合病院の看護師さんの声掛けがきっかけでした。
ある日家に帰ると、玄関の前に救急車が止まっていて、父が救急搬送されるところでした。
大量にお酒を飲み、家の中で転んだのか、ガラスで足を怪我して血だらけでした。
病院に着くと足の怪我の具合よりも肝臓の方が悪く、今晩持つかどうか…という状態。
そのまま入院したのですが、なんと肝臓は持ち直し、次に出てきたのが、アルコールの禁断症状です。
わめいたり、騒いだりするので、一日中、鎮静剤(多分)を打って、朦朧としている父を見ていました。
1ヶ月ほどで、その病院から「ここではもう診ることができないので転院してください。」と転院先を2ヶ所提案してくれました。
その一つが、アルコール依存症の専門病院だったのです。
数十年前の話で、私はまだ若く、世間では「依存症」という言葉もほぼ認知されていません。
ちんぷんかんぷんな感じと、親が精神病院みたいなところ(と思っていた)に入院する、というのにも抵抗感がありました。
後に息子が、もっとショッキングな薬物依存症になるとも、何度も精神病院に入院するとも、想像もしていません。
精神病院とか、
心の病とか、
偏見というか、
できれば関わりたくない。
というような考えが正直ありました。
しかし、そばにいた看護師さんが
「あなたのお父さんは、こちらの病院の方がいいと思う。」という言葉に
「ようわからへんけど、お父ちゃんのためにそう言ってくれてるんだやったら、そっちにしよかな。」と深く考えずに決めました。
それが父の転機となりました。
父はその後、長く病院と繋がり続けました。
同時に母も病院からの勧めで家族会に一度は繋がりましたが、継続しませんでした。
今思うと、もったいない話です。数年前の私と同じように、母にもその時、転機が待っていたはずなのに。
母が持つ母自身の何かが、それをできなくさせていたのかもしれません。
最近、特に歳をとった母と接して、あのまま家族会に繋がり続けていたら、きっと母の人生、もっと豊かになっただろうと。
どんなことも続けるというのは、簡単なようで、難しいことかもしれません。
私には、いろいろな話を聞かせてもらったり、聞いてもらえる人たちがいる。
とても感謝しています。
すずめ
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