1月2日に父が逝った。
戦時中に生まれ、戦後の貧しい時代に生まれ育った人である。
父は近所の人に、「ケンちゃん」と言われて親しまれていた。
近所の人と焼酎を飲んでは陽気になり、よく踊っていた。
また祝い事になれば、必ずと言って皆の前で踊りを披露していた。
そんな父であるが、厳しい時代に生まれ育ち、7人兄弟の長男として兄弟たちの面倒を見るため、一生懸命働き詰めだった。
自分にも厳しく、子供の私たちにも厳しく、母にも辛く当たっていた。
記憶の中の父は、いつも怒られて顔色ばかり伺っていた。
私は、そんな父が嫌いであったし、むしろ軽蔑していた。
そして、通夜の夜
線香やロウソクの寝ずの番をする。
父の遺影を見ながら、ふと感じた。
「父の人生は辛いことばかりで、なんだか可哀そうだな」と思っていた感情が、ぐるりと変わった。
前日の仮通夜の夜、父の遺影や葬儀場に飾る写真を選ぶため、父の写真を選んでいた。
父の若かりし頃
結婚直後と思われる頃
幼少期の私と父
孫と過ごしている時の父の顔など
ほどんどの写真が笑っている。
辛いことの多かった父の人生であったが、父には集落の人、仲のいい友人、そして家族がおり幸せを感じていたんだ、楽しかったことも沢山あったんだ。
私は、勝手に父の人生を決めつけていた事に気が付いた。
私の「幸せを測るものさし」と父の「幸せを測るものさし」は違っていたんだ。
父に対し、すごく失礼なことをしていたと思った事と共に、ほんわかで温かい感情も覚えた。
遺影を見ていると色んな記憶がよみがえる。
雨の日、庭の木に縛られていたこと。
大きな大木に夜中に姉と縛られ、フクロウが鳴いており怖かったこと
土間を掃除するホウキで殴られ、鼻血を出したこと。
高校の体育祭を弁当を作って見に来てくれたこと。
喧嘩して警察に捕まり、泣かせてしまったこと。
書ききれない思い出が次々とあふれだしていた。
温かい記憶も思い出すことが出来た。
アダルトチルドレンの私は、これは「埋め合わせ」だと言う事に気づいた。
12ステッププログラムを実践していることで、気付かせて貰えた感覚だろう。
あるお坊さんの言葉です。
「死は、無くなるという無ではなく、尊い死によって、尊い誕生がある」という言葉を思い出しました。
父の死によって、私の中に何かが生まれたかは分かりませんが、言葉や文字にできない何かを感じることはできた。
できれば、父が生きているうちに父の幸せ感じたかった。
しかし、父の死が無ければ感じることはなかっただろう。
そして、依存症の次男の「回復の物差し」を決めつけないようにしようと思った。
人生の中で、仲間の存在は絶対必要だ。
同じ境遇の辛さを共感してもらえる仲間・助けを差し伸べてくれる仲間がいるから、私は絶対この先の人生もの乗り越えていけると思う。
GENGEN