友達に初期の乳ガンが見つかった。
彼女は子宮ガンも経験している。
婦人系の病は 自己犠牲の人に多いと聞いた事がある(あくまで一意見)が、
彼女はまさしく自分のことより人が優先の優しい人。
私は病にはならなかったけど、家族に対しては自己犠牲・自己憐憫の日々だった。
息子が薬物依存症になって 家族会にたどり着けるまでは…
起こることは必然と思う。
そこからの気付きはとても多く、大きかった。
自分を大切にできるようになったし、人との距離の取り方も上手くなったと思う。
私の場合、、
息子にも、そんなきっかけが必要だったのだろうし、依存症になったことで 生きやすくなっていってくれればいい。
私はただ、祈るだけ。
彼の人生は彼のものなのだから♡
sakura
娘は中学三年生の時から学校に行かなくなり夜の街を彷徨い酔っ払い深夜に帰って来る日々が続きました。
毎晩寝られずに待っている私。
ある日、飲めないお酒を呑んで気分が悪くなった娘の背中をさすっていると
突然娘が「ここまで墜ちるとは自分でも思わんかった・・・」と泣き出しました。
私は泣き続けるその背中をたださすることしかできませんでした。
なぜ娘がこんなにも苦しむのかわかりませんでした。
彼女の生きずらさが全くわかりませんでした。
いえ、
分かろうとも思っていなかったし苦しいのは私の方だと思っていたのです。
物分かりのいい母親のふりをしながら私の言う通りにしていれば上手くいくのよ、と思っていた傲慢な母親でしたから。
私は強い、だから娘も強いはずと勝手に思い込み彼女の弱さが認められませんでした。
何の何の、娘が薬物依存症になることで私は自分の弱さを思い知ることになりました。
自分の弱さを認めたからこそ自分の力では娘を救うことはできないと気づきました。
そして私は自助グループに辿り着きました。
自分の力で愛の力で愛する人の薬物を止めさせる!と言う強い決意を持っている間は愛する人も強い決意で薬物を使い続けるのではないかと思います。
yuzuriha.
「海苔菓子」
遠路はるばるミーティングに来られた
新しい仲間を思い返しながら‥、
今、醤油で味付けされ海苔で巻かれた
そら豆をしみじみと味わってます‥。
持参された海苔菓子は‥、
「格別やなぁ‥、」と。
昨夜、私が繋がっている自助グループに
新しい仲間が来られ、その経験を分かち合わせてもらった。
その新しい仲間の話を聞いていると‥、
いつの間にかタイムスリップし5年前のシーンが蘇った。
薬物依存症者である息子が、
繋がっていた回復施設を出たいと伝えてきた瞬間の‥、
ザワザワとした感情と暗澹たる未来の真っ暗な映像が。
息子に伝えたことは‥、
自分の人生だから自分で選択してください。
もし、帰って来ても家には入れられません。
文字にすれば‥、わりと簡単。
でも、言葉にして息子に伝えるのは激痛。
怖かった。
息子が野垂れ死ぬかもと‥。
でも、「タフラブ」の実践に縋りつくしか方法がなかった。
薬物依存とは別に、完治しない持病を持つ息子を
路頭に迷わせることが本当に賢い選択なのか‥!?
結果、五年間の音信不通の状態のまま時は流れども‥、
昨年末に突然、息子が帰郷し食卓を囲み‥、
翌日、自分の住む地へ帰って行った。
底つき、底上げ‥、
孤独には、させてはいけない‥。
時代により対処法も様々に変化。
そして、回復の仕方も各々で違う‥。
私には、息子の替わりに生きてはいけない‥。
彼の人生は、彼に任せるしかない。
と、回復施設を出ると云った時に‥、
ピンチではなく、息子の回復へのチャンス!
だと捉えられたのが五年後のギフトになったのかなぁ、と思える。
昨夜も繋がっている自助グループのミーティングで
たくさんの仲間と経験と強さ、そして希望をシェアできて最高だった。
追記。
いつもながら思う‥。
新しい仲間が来ると全員が温かなメッセージを送る。
「愛に溢れている!」
まだ繋がっていない薬物問題に困っている方々に、
そんなミーティング会場に一度でも触れてもらえれば‥、
と、切に願う。
T & J
薬物依存症が病気だと知るまでの私がどうだったかを思い返しました。
娘が高校入学後、様子が急に変わりました。
私は単に羽目を外しているだけで、何れは収まるのだろうと思っていました。
そして学校を変われば新しい人間関係の中でやり直せるだろうと、本人の納得の上で他校に編入をさせました。
それでも意欲を見せる時もあれば気怠そうな時もあり、その気分の波は安定しませんでした。
辛そうな様子があるかと思うと強気なふるまいもありました。
環境を変えても彼女は変わらず、親身に会話をしてもその場限りでした。
次第に彼女中心の生活になりつつあり、何も変わらない苛立ちが私の中に蓄積していきました。
そして高3の秋を迎える頃、薬物使用が発覚しました。
人生が終わったかのような衝撃でした。
それと同時に彼女に抱いていた疑問の数々が線となりました。
犯罪に手を染めたわが子を助けるのは私しかいない、私が立ち直らせると決意しました。
そして私の愛情の具現が始まったのです。
彼女が喜びそうなことを察しては世話を焼きました。
ですが何一つ変わりませんでした。
私と彼女の関係も状況も以前のままでした。
一年が経とうとした頃、疲弊した私が辿り着いたのは薬物依存症の家族が集う自助グループでした。
そこで初めて薬物依存症が病気であることを知るのです。
それまで私が変えようとしていた娘は病気であること
私が彼女にしてきたことは彼女の回復の妨げになっていたと…
知らなかったとはいえ、逆のことをして互いに傷つけあいました。
そして彼女に向けていた意識を変え始めました。
薬物依存症が病気で治療が可能だと知ることで、家族の視野は広がります。
依存症者を治療に繋げるためのノウハウを活用し、動くことが出来ます。
家族だって自分の生活をとり戻してゆけます。
メディアの薬物依存症者の尊厳を傷つける報道に、依存症者が受ける影響を思うと胸が痛みます。
家族が依存症を理解し回復のためにやってきたことが、一瞬にして踏みにじられてしまいかねないと懸念します。
同時に苦しんでいる家族には、独りで抱えずに家族だけで悩まないほしいと思います。
家族の勇気ある一歩が、大切な依存症者を助けます。
Luna