本当はパッとビアガーデンでも行きたいとこだけど、テイクアウトでも取って
食事でもしようと、同僚宅に数人集まった。
年齢は30~50代と様々。
私はその日の午後に、1年かかった”12ステップ”(回復のための)プログラムを終えて、
少し安堵していた。
もちろん、これからもずっと、都度棚卸をし埋め合わせをしていくのだけど、一つの区切りとして。
親しい友人には薬物依存症の二男の事は伝えているけども、会社の同僚には、
同期の1人にしか打ち明けてなかったが、その日は私の区切りでもあったので、思い切って打ち明けた。
「そんなこともあるよね。」「話してくれて、ありがとう。」
その日は更なる区切りになった気がする。
思い通りに生きていけなくなったあの日から。無力を認めたあの日から。
少しずつだけど、私が変わっていくことで、どんな私も受け入れてもらえている。
本当は、自分自身を一番受け入れられたからなのだろうと、感じている。
sakura
男3兄弟、27才の次男、薬物依存症
中二の頃からあらゆる薬物に手を出し、日常生活は破綻していた。
次男は警察沙汰になった事が何度もあるが、逮捕は無い。現在は、働いており自活しながら薬物と同居しているようだ。
『自分は薬物依存症ではない、ADHDを診断されている。その辛さから鬱になった、その辛さから治療のため薬物を使っている』らしい・・・?
突然LINEで送ってきた。
コロナ禍で次男の仕事に影響がでて、『お金を貸してほしい、貸してもらえなければ練炭自殺します。』その後、
脅迫するLINEは次々と送られてくる。
電話もかかってきて、『ADHDは遺伝するものだ、親の責任だろ!』とまくし立てる。
依存症は親の責任ではない事を理解しているつもりであるが、直接息子から言われたらキツイ!
自助グループでは新しい仲間にはアドバイスなど知った様な事を言っていたが、いざ自分の事になったらそうはいかない、ザワツキが襲ってくる。
直ぐに、自助グループの仲間や回復施設のスタッフに相談する。
僕はその事により、だいぶ心の平安を取り戻すことが出来た。
でも、心の片隅には最悪な先行き不安を感じている事は確かであったが、それは小さかった。
その後次男には、どの様に対応すれば一番良かったのかは今でも分からないが、間違った対応で無かったことは自信を持って言える。
そして、次男からは謝りのLINEが入った。
僕は、薬物依存症家族の自助グループに通っている事や、それによって仲間に助けてもらっている事は、以前より伝えている。
そして次男に伝えた。
『父さんは、同じ境遇の仲間に助けてもらっている。次男を助けるのは同じ境遇の人達だ。父さんは助けることは出来ない。』と。
適切な言葉ではないが、ぼくは以前から思っていた。取り返しのつかない犯罪や、取り返しのつかない体の影響が出ないうちに、警察に捕まって国の施設に入って欲しいと。
そうしないと、自ら次男が回復の道に進めないと。
しばらくして、なんだかんだあったが、事前より伝えていた回復施設の方に次男が自ら相談に行った。
ADHDの件で相談に行ったがその後、NA(薬物依存症当事者の自助グループ)に参加したようだ。
こんなことがあるんだと、僕は驚いた。あれだけ、依存症を否認していた次男が。
1度NAに行ってだけで、回復に繋がるとは思わないが、少なくとも今スタート地点に次男は立っている。
今後、その位置から退くか?進むか?は、次男を信頼しよう。回復への繋がり方はいろいろあるかも?
僕はこれから先もずーと仲間の中に居よう。
そして、自分を好きになり、人の愛を感じられる様になろうと思っている。
GENGEN