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タンポポの綿毛が風に乗って種子を運ぶように私たちの思いが​苦しんでいるあなたのもとへとどきますように。


by 関西薬物依存症家族の会

距離感

人との距離感の取り方って、
難しいなぁ~と思ってしまいます。

なんと言っても依存症本人をコントロールすることに関しては、
家族って群を抜いていますよね~。
押しつけ、強制、脅迫、忠告、言いくるめ、支配など、
さまざまなことをやってしまうのですから。

本人にとって家族は、
とても”やっかいな人”なのでしょうが、
家族は本人をなんとかして助けたいのです。

家族は薬物を止めたくても止められない、
薬物をコントロールできない本人を、
コントロールしようと躍起になって、
あげくに一緒になって病んでいくのです。

薬物依存症は進行性の病気です。
だから本人が回復に向かうためには、
病んだ家族の回復も急務なのです。

薬物依存症が回復できる病気のように、
家族も共依存症という病気から回復できるのですもの~、
それぞれの仲間のなかで!

よい距離感て、
相手に目を向けることではなく、
自分自身に目を向けることで、
相手の邪魔をすることなく、
自分自身も邪魔をされないという距離なのでしょうか。

とらわれが多い我が身ですが、
いまだ苦しんでいる家族のためにも、
たくさんの仲間の輪を広げて、
しっかり歩いていきたいで~~~す。

*sheep*


# by familiesofaddicts | 2019-07-03 23:13 | Comments(0)

仲間との憩いのひととき

分かち合う

ミーティング後の食事を終えて、

事務所に帰還。


「クンクンクン‥!?

衣類から漂う香ばしいお好みソースの香り。


八個のたこ焼きを二つずつシェアし

丸い豚玉もきれいに四頭分。


直接、箸で頂いた焼きそばは

みんなが、遠慮してしまい焦げる羽目に。


そうそう

明石焼きは

好きな人が、欲しい分だけ薬味をゲット。


あれも、これも

すべてを分かち合う仲間との食事。

このひと時こそが、至福の極み。


高級なフレンチより(ご縁がない)

グルメの舌を魅了するイタリアンより(チーズ嫌いやけど)

日本食文化の象徴的存在の京料理より(男前豆腐しか知らんけど)


どんな料理をも凌駕する

最高に贅沢な逸品が、仲間とのシェアする一片一片。


そして

そんな食事だけでなく、

「悲しみ」

「苦しみ」

「怖 れ」

「絶 望」

「勇 気」

「喜 び」

「希 望」

「回 復」

を分かち合える仲間とのミーティングは、

「際限の無い愛」に満ち溢れている。


ホンマ

しんどいし、泣きたいし、恨みたいよなぁ

でも、今日も一日過ごせたし


どうにか、こうにか、明日も同じく

「今日一日」で、ゆるりと生きてみるのもええなぁ。

と、二週間ぶりのミーティングで実感。


「さようなら」

先取り不安と自己憐憫

そして、コントロール欲求。


また、仲間と会える

次のミーティングが待ち遠しいわぁ。


T& J


# by familiesofaddicts | 2019-06-28 10:42 | Comments(0)

家族のありよう

家族が病気になったら全員で励まし助け合うのが、正しい家族のあり方だと思っていました。

だけど依存症には通用しなかったですね。


励ましや助けは手を差し伸べたり関わったりするイメージですが、まずはそれをやらない

何かをしなくてはいけないと怯える家族が、強迫衝動を止めなければなりません。


家族の依存症を治そうと躍起になればなるほど、過干渉やコントロールが止まらないから…

自分の行為から招いた結果を家族が後始末してくれると依存症者に期待させないように

尻ぬぐいはやらない

自分の責任を他者に転嫁しないよう本人が向き合うことで回復に繋がるために


依存症だと認めない本人に分からせようとしないことをとっても、果てしなく気が滅入ります。

こんなこと出来るとは思えないし疑問が湧くでしょう。

即効性を求めるけれど、急がば回れといったところ


独りでやるのは到底無理なコト、だけど経験豊かな仲間とならやれるのは確かです。


もう何年も前のことですが、保護司さんが薬物依存症の家族は離散している場合が多いと否定的に話していました。

それは途轍もない覚悟をもって大切な依存症者の自立を願い、離れて暮らす家族の形だったと後になって分かりました。


依存症の娘から譲り受けた女優さんの著書に、家族について書かれたページがありました。


『仲良くというより無関心でいることですね。家族に対しては、だいたいすべて、孫に至るまで無関心。みんなが自立して一つの家族を作ってるっていう感じだから。』


この家族の距離感、見習うところです。

        Luna


# by familiesofaddicts | 2019-06-27 17:32 | Comments(0)
薬物依存症者の大きな変化の一つに、
嘘をつくようになるといいますが、
相手をだましながら、
実は一番だましているのは自分自身らしいです。
「これが最後の一発」といいきかせながら、
薬物をいつまでも使い続けるのですから。

快楽だけではなく、
その苦痛や現実と向き合う不安なかで、
捕まるという行為は一方で安堵もするようです。
これも真実なのでしょう。

元プロ野球選手のインタビュー記事では、
自分の正直な気持ちを赤裸々に語っています。

 ”今日一日使わなかった。
  また明日も・・・という間に、
  一日一日の積み重ねでここまできました”

 ”正直に言えば今でも突然、
  薬物を使いたくなることはあります”

なんと!正直な言葉なのでしょう!
「薬物はゼッタイ使いません」という方が、
どれほど世間受けすることでしょうに、
世間に媚びることなく自分の気持ちを伝えています。

薬物依存症の治療の中で病気を理解し、
回復への道を歩まれているからこその言葉なのでしょう。

 ”薬物を使わない状態を続けて、
  社会復帰をすることで、
  息子たちと堂々と会える日がくるだろうと、
  一日一日がんばっていきたいです”

薬物依存症者の社会的な疎外を耳にします。
個人的に受け入れられないにしても、
公共の場で、
社会復帰を目指している人の足を引っ張る必要があるのでしょうか?

彼の真実な言葉に、
共感と感謝の気持ちだけではなく、
私自身の気持ちをも奮い立たせてくれました。
”ヨッシャ~~~”
  
    *sheep*
 

# by familiesofaddicts | 2019-06-26 16:40 | Comments(0)

そんな暇はない。

分断は「無理解」から生まれる。
「知らないこと」は、恐怖や不安へと繋がっていく。

ある記事を読んでいて、この言葉にハッとした。

薬物事犯がニュースで取り上げられるたび、ワイドショーやSNSでは心ない言葉が飛び交い、誤った知識が広がっていく。
それが著名人の関わる事件なら、なおさらだ。

そのたびに傷つき、今苦しんでいる当事者やその家族がますます相談したり助けを求めることができなくなるのでは、と心配になる。
どうして?なぜ?と、ため息ばかり。
なぜ、私たちはこんなに傷つけられるだろう。
なんで依存症は病気だとわかってくれないのだろう。
そして少しばかりの間、自分の不幸を哀れんだりする。

けれども、それは誰かのせいだろか?
「無理解」と「知らないこと」は、私以外の誰かのせいだろうか?
私は、誰かに「理解」してもらえるように、なにかしただろうか?
私は「知ってもらう」ための何かをしてきただろうか?

「うちの娘、薬物依存症なんよね」
「そうなんや~、大変やね、治療頑張ってね!!」
どうか近い将来、こんな会話が自然にできる日本になりますように。

以前の仲間のブログにこう書かれていたことを覚えておられるだろうか?

自分の不幸を哀れんでいる暇があったら、この「近い将来」を手に入れるために、とっとと私は動こう。

*NINA*

# by familiesofaddicts | 2019-06-26 13:40 | Comments(0)