先日、クセ強めの知人にいつまでも昭和の脳のままではいけない、時代は令和なんだと懇々と語られることがあった。
あまりの勢いに押され へ~、は~、ほぉ~と聞いていた。
その語りの中で面白いなと思ったことがある。
脳とは新しいことをやろうとする時に「そんなの面倒臭い」「そんな事私にはできない」「やらなくていいよ」と必ず反対をするそうだ。
だがそれでも三ヶ月頑張ってやり続けると今度は脳がその事は必要な事と認識して脳が応援をしだし、そしてそれをやらないと気持ち悪いに変わり習慣化されると言う。
新しい事に挑戦するのは年を重ねれば重ねるほどおっくうだし、なんだかんだ理由をつけて現状維持に甘んじていたい。
でも時代は令和。
新たな時代を生きるには自分自身もアップデートが必要なんだと考えさせられました。
新しいことを始める、今までのやり方を変える、考え方を変える、どれも簡単ではありませんがまずは何事も三ヶ月!
脳が応援してくれるまで頑張ってみようではありませんか。
yuzuriha.
数日間 安定剤の服用を続けて
かなり 落ち着いて来た様に感じた
約一ヵ月過ぎた頃には
普通に戻った状態であった
友人の仕事先にバイトに行くと
言い出した
働く事には もちろん賛成で
こんな日が来るとは 以前では
考えも付かず やはり友人達の
力は ありがたいと 思えた
初日に遅刻し親方に怒られた様だが
その後は 朝も早くに起きて
遅刻もせずに 行き出していた
どんな状況でも 働くと言う事は
健康であり 健全に思えた
しかし 一度目の給料が入った日に
雲行きが変わった
給料を貰いに 近くに取りに行くといい
すぐに戻ると出かけたが
なかなか帰ってこない
少し不信に思えたが しばらくして
帰って来た 表情に変化はあまりないので
疑い過ぎだとホッとした
数日が過ぎた頃 バイトの予定連絡が
無くなって来た
現場仕事で 事前に予定の連絡があり
指示された場所まで 朝に向かう形態であった
数人がバイトしていたが 次男坊だけ連絡が
無い様であった 理由はわからないが
バイト先で何かあり 呼ばれないのかと
いろいろ 考えを巡らしたが
僕は 次男坊が頑張っているのにと
勝手に思い込んでおり
僕は連絡が来て欲しいと願っていた
友人の子にも なぜ連絡が無いのかと
尋ねたが 特に理由は言わなかった
待てども 連絡が無い事に
次男坊も何かを感じたのであろう
もう連絡は 無いよと言った
その後 日を追う事に
状況が 少しづつ乱れて行った
次男坊は おかしさを増し
また あの得体のしれない悪魔が
強力な悪魔が 次男坊を 家族を
破壊へと 引きずり込み出した
連日問題が起こり 僕の携帯が鳴り
以前に増して 問題は大きくなって
行き もう何をしたらいいのかも
まったく わからない いよいよ
家族が本当に おかしくなる寸前まで
行った頃 パートナーが薬物依存症を
家族や友人に持つ 自助グループとやらの
ミーティングに行くと出かけて行った
壊れて行く次男坊を
眼のあたりにして
夏が終わりを告げた 秋の空を
夕焼けが 真っ赤に
染めて行った・・・・・
やぶれたタカのつばさ
今年の正月は帰省して実家で迎えました。
正月を実家で迎えるのは2年ぶりですが、去年は5回目の帰省だ。
以前の僕は今まで、父親の事を好きではなかった。
むしろ、拒絶して嫌っていた。
子供の頃や社会人になり帰省していた時に、庭先で他人の悪口を言っていた。
母親にも辛く当たり手を出すこともあった。
それが凄く嫌であり、父親を拒絶する原因である。
父親は現在、介護施設に入所しており、母親は実家におりディサービスや在宅看護に来てもらっている。
僕には弟がいて、僕の代わりに家督を継ぎ、両親の面倒を見てくれていた。
その弟が、昨年の3月10日に妻(義妹)を残して急死した。
義妹は同じ敷地であるが別棟に住んでおり、両親の面倒を見てくれている。
弟が亡くなる1年前に、叔父さんが他界した。
叔父さんの最後は、不憫な形で人生の幕を下ろす形になっていた。
当時、弟が本家である実家でお骨や位牌を引き受けた。
その叔父さんの1周忌の前日に、弟は急性心筋梗塞で急死した。
僕の心は、凄くざわついた。
それ以上に反応しているのが、義妹である。
不憫な亡くなり方をした叔父さんが、弟を黄泉の国に引きずりこんだため、弟は亡くなった!と思っている。
弟の体は丈夫で、悪いと所は無かったようだったのに!
しかし、亡くなったあとに彼の友人たちから話を聞けば、心臓が辛い様子があった様だ。
そんな事は、義妹にすれば今はどうでもよい事と思える。叔父さんが憎い!
彼女の気持ちは十分理解できると思う。
自分が抱えきれないほどの、悲しみや辛さ、いら立ちや不満があれば、他の人に向けて攻撃してしまう。
僕も同じだ、職場や、家でパートナーに!(なんだか、父親と同じようで自分が嫌になる)
僕以上に不器用な父親も、同じであったと思う。
今は、父親の境遇を理解でき、僕自身も当時に比べれば大人になっていると思うので、父親を受容できる。
薬物依存症の息子の事を考えてみた。
息子も同じように当時は、悲しみや辛さ、いら立ちや不満があったと思う。
だけど、一番決定的なものは、「孤独」ではなかったのか?
薬物が、使っている時だけ孤独感を薄らいでいたのではないか?
孤独感は父親や義妹も若干感じていたと思うが、依存症者ほどではないと思っている。
僕も、子供の時に友達から仲間はずれされた経験がある。
からかわれたり、馬鹿にされたりする事より、無視が一番きつい。
今でも、その体験は心の傷となっている。
生きていりゃ、色んなことが起きますよね。
イライラしたり、不安になったり、怖くなったり、
依存症の息子の事、会社の事、実家の事、元気(飼い犬)がソファーにお漏らしする事など。
僕の場合、職場で孤独を感じていている事が多い。
辛い時に、自助グループでその気持ちを打ち明けることで仲間が寄り添ってくれる。
それで、孤独感はだんだん薄れて行き自分の居場所が分かることもある。
色んな、状況で辛い思いをしている仲間(ブログを読んでいる方)は、沢山おられると思う。
自助グループに行けば、同じような境遇を経験した仲間が話を聞いてくれる。
こころを開けば、直ぐに状況を解決することは出来ないが、孤独になることはない。
一人でも孤独な方が少なくなって欲しいと、僕は思う。
GENGEN

