生きていてよかった。
キツイ生き方
「免許証返納」
少しボケの症状がではじめている父の世話をし、
日頃から車で走り回る気丈な母。
周りから、そろそろ運転は止めたら!?
との言葉に耳を貸さない頑固な母。
せめて、今度の誕生日まで運転したいから‥、
と、迫ってきた車検を受けると言い張る高齢の母。
しかし、高齢者の運転事故が多発するのを
連日のようにテレビで流れるのを見て「底つき」
愛車を手放す決心をした母。
「これからの母を乗せて食料品の買い出しに便利かも‥」
と、ゴールデンウイーク前から車を預かることに。
で、昨日。
ポイント2倍デーやから買い物へ行きたい!
と、母からのホットライン。
少し離れたショッピングモールへ。
小一時間の買い物に付き合い、
車を走らせている時に、母がポツリと‥。
「〇〇(息子の名前)元気にしてるん?」
「‥‥、連絡ないけど元気にしてるやろ!」
「ひ孫と〇〇とみんなでご飯食べに行きたいなぁ」
「そうやな‥。行けたらええなぁ」
母には、息子薬物依存症に罹患したので、
家から追い出したとは、伝えられなくて‥。
ずーっと、私は‥、
息子に関しては嘘を貫き通してきている。
勿論、実の姉にも親戚縁者、知人、友人全ての人に
息子の件を必死に隠し続けている。
これは、想像以上にキツイ生き方。
だからこそ、自助グループに通い、
正直になれる時間が私にはすごく必要。
本当に、自助グループに繋がって良かったと
しみじみと思い返せた母との車中の会話でした。
その後、今から免許証を返納しにいかへんか?
と、思い付きを母に提案。
あっさりと、行くと同意した母。
警察署で必要書類を提出しアッサリと返納完了。
担当官から、免許証の替わりに身分証明書が必要なら
五年以内なら手続きできますから!と、云われた一言に‥、
「後、5年も生きてないから‥」と小さく呟いた母。
私は、心の中で‥、
「5年以内に息子を含めた家族全員でご飯食べにいけたらええなぁ」
とツイート。
あっ、俺は、オカンが好きなんや!
と、すごく感じれた瞬間だった。
昨日のミーティング。
先行く仲間のグループのバースディ・ミーティングに参加。
遠方から来られたステキな仲間との交流に心が揺れた。
みんな、いろいろな環境の中で頑張ってるんだ!と。
その夜のホーム・ミーティングも最高だった。
数年ぶりの仲間との再会‥。
初めての仲間との時間の共有‥。
我ら共依存軍団のオッサンズの揃い踏み‥。
狂気に満ちた依存症者との暮らしの中で、
疲弊し、絶望し、生きることを放棄しかけた仲間と‥、
時に、涙し。ともに笑い。希望を噛み締められる最高の時間。
ミーティングに通い続ければ‥、
必ず、想像を超えた贈り物が届けられる。
と、再認識できた今日一日に、感謝。
あっ、俺は、ナカマに惚れてるんや!
と、すごく気づけた共有だった。
T& J
現実を認めること
ある検査のため病院に行きました。
保険証や医師の紹介状は忘れまいと気を付けていましたが…
診察券を忘れていました。
確か5年くらい前に訪れたと思っていましたが、何と9年も経っていました。
9年前と言えば…娘の薬物使用を知った年です。
あの頃は自分の体調を顧みず自分を責めてばかりいました。
娘が依存症になった責任を背負いこんでいましたから…
家族だけで何とかしなければいけないと思っている間は、罪悪感で苦しみました。
娘の間違いは私の間違いだと思っていましたから…
彼女の薬物使用が止まれば、何もかもうまくいくのだと考えました。
ですから彼女に対してあらゆる手立てを講じました。
だけど何かが変でした。
どんより暗雲がたちこめている開く扉がない部屋で、右往左往している感じでした。
私こそが無自覚にも娘の依存症の影響をうけていたのです。
初めは依存症に対して無力であることを認められませんでした。
ましてや自分が娘をコントロールすればするほど、逆に支配されることになっていたとは思いませんでした。
思い通りにいかないと悲嘆にくれたり失望していました。
一方で、これ以上悪くならないはずだと思い込もうと現実を曖昧にしていました。
現実は娘が薬物依存症という、私には治せない病であるということでした。
問題を認めることで現実にどう対処していくかを考え始めました。
どうすることも出来ないコトから手を引き、自分の責任の範囲を明確にしました。
娘の回復は彼女の責任であること、私は彼女の引き起こした結果の肩代わりは止めました。
大切な娘との関係を変えていくことは、寂しくもあり不安もなかったわけではありません。
私が何を考え感じているかを自助グループの仲間と分かち合ってきたからこそ、これまでやってこれたと思います。
今では現実を生きることができています。
Luna

