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関西薬物依存症家族の会のブログ ピンチがチャンス!

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予期せぬことは突然

喉も痛くないし熱もないのに、
朝起きたらガラガラ声になっているではありませんか~。
引いていた風邪も風邪薬のおかげで、
症状も落ち着いてきた矢先だったのでビックリです。

その日は仲間と一緒にいざ九州へ~~~の日、
それでもガラガラ声でしゃべっていたら、
次第に声を張り上げないと相手に届かなくなり愕然、

喉のためにもしばらくしゃべらない~と決心したものの、
仲間の輪の中で普通に声が出せないことのもどかしさ、
笑顔とうなずきだけで答えてはいましたが、
自分の思いが伝えられないってかなりのストレスです。

会話でのコミュニケーションがとれないって辛かったですが、
その分仲間の話を静かに聞くことができたのは、
不幸中の幸いでした。

自分を正直に語ることもさることながら、
仲間の話を謙虚に聞くことも必要なのでしょう。

突然起きることに戸惑いを感じることはあっても、
その時の自分の姿勢によって、
全てではないにしても乗り越えられるものなのかもしれません。

3日ほどで声もましになりホットしているのですが、
きっと風邪が完全に治っていなかったのでしょう。
それでも仲間と一緒に出かけていってよかったです。

九州での多くの仲間との出会いに、
これまでになく、
たくさんのパワーを頂くことができました。

自分自身の回復に向き合って、
人生をを楽しんでいる仲間たち、
とても輝いていました。

感謝!
*sheep*

# by familiesofaddicts | 2019-06-05 15:50 | Comments(0)

生きていてよかった。

川崎の事件が頭に浮かび、第三者に危害が及ぶかもしれないと思い、長男を刺し殺害に至った、という報道を目にした。

息子を殺してしまおう、死んでほしい、そう思ったことはない。
けれども、私と息子はこのまま野垂れ死んでいくのだろう。
そう思って、過ごす毎日だった。
ダメ、絶対。人間やめますか?
そんな言葉が、頭の中を駆け巡り、心が少しずつ死んでいった。

中学時代から荒れていた息子は、高校には進学したくないとてこでも動かなかった。
親としては、将来を考えてせめて高校は卒業させたい。
なんとかなだめて、仕事をしながら単位制高校に通うことに落ち着いた。
その頃、息子がシンナーを使っていることが発覚した。
誰に相談したらいいかわからなかった私は(10数年間なので情報が少なかった)息子を気にかけ、なにかと救いの手を差し伸べてくれた中学時代の担任の先生に相談した。
幸いなことに、先生の親戚が警察官だったこともあり、薬物事犯を受けている病院を紹介してもらった。
夫と私はなんとか息子を連れて、病院にでかけた。
けれども、医師から言われたことは
「もう仕事もしてるんだから、息子さんを成人とみなして、シンナーの代わりにお酒を飲ませたらどう?お酒は害はないよ。ご両親も許してやって」
薬物事犯を受け入れている病院の医師の言葉を信じ、バカな親は病院の帰りに酒屋に立ち寄り、お酒を息子に与えた。
危なく、息子を薬物依存とアルコール依存にするところだった。

しかし、シンナー使用は止まることはなかった。
時が経ち、シンナーの匂いは消えたが、大麻、覚せい剤へと息子の薬物使用は加速していった。
私には薬物使用の経験はなく、それまで薬物を使用している人を見たこともなかった。
だから、一緒に生活している息子が大麻、覚せい剤を使用していることに長い間気づかなかった。
親のクセに、気づかなかったのか?と責められることもあるが、彼らは上手に隠すし、ほんとうにわからなかった。
それでもいつかは、おかしな行動をするようになる。
気づいた時には、かなり症状は進んでいた。
覚せい剤を使用している…あまりの衝撃で震えながらも、私はなんとか情報を集め、薬物依存症者が通うクリニックを見つけた。
藁をもつかむ気持ちで、嫌がる息子を連れて受診。
待合室で5時間くらい待ったころ、やっと名前を呼ばれた。
ただでさえ嫌がっている息子を、5時間も待たせる苦労は並み大抵のものではないとご想像いただけるだろうか。
あぁ、これでやっと助かる、そう思ったのも束の間、また私は奈落の底に突き落とされた。
「彼はまだ10代。若いから、自助グループに通っても無理だよ。今はどうすることもできないね、お母さん。お母さんが家族のための自助グループに通っても、どうにもならないね。まあ、様子を見てなにかあったら、また来なさい」
なにかあったら、ってなに?
事件を起こしたら、ってこと?
家族の自助グループも役に立たない?
じゃあ、私たちは、どうやって生きていったらいいのだろう。

それでも、明日はやってくる。
絶望しかないけれど、生きていかなければならない。
それからの数年は、苦しさや苦痛に無感覚になり、家を一歩でるときには笑顔と陽気さで完全武装。
助かる方法がないのなら、なんとしても私たちの問題を隠さなければならない。
息子以外の家族を守らなければならない。

自助グループに繋がらなかったら、薬物依存症が回復可能な病気だと知らなかったら、息子より先に私が壊れていただろう。
繋がる先を見つけてよかった。助けを求めることができてよかった。
私は幸運だった。

だから今思う。
幸運だった、ではいけない。
それが当たり前にならなくてはいけない。
困ったら相談できる。
そして相談したら、支援に繋がることができる。
それが普通にならなければいけない。
そうなるよう、私たちも行動していこう。

生きていてよかったね、私たち。
助けてくれた仲間たち、そしてたくさんの人たちに今日も感謝。

そして、今苦しんでいるあなたへ。
どうか諦めずに、相談してください。助けを求めてください。
自助グループにどうぞ足を運んでください。

  *NINA*





# by familiesofaddicts | 2019-06-04 11:53 | Comments(0)

キツイ生き方

「免許証返納」


少しボケの症状がではじめている父の世話をし、

日頃から車で走り回る気丈な母。


周りから、そろそろ運転は止めたら!?

との言葉に耳を貸さない頑固な母。


せめて、今度の誕生日まで運転したいから

と、迫ってきた車検を受けると言い張る高齢の母。


しかし、高齢者の運転事故が多発するのを

連日のようにテレビで流れるのを見て「底つき」


愛車を手放す決心をした母。


「これからの母を乗せて食料品の買い出しに便利かも

、ゴールデンウイーク前から車を預かることに。


で、昨日。

ポイント2倍デーやから買い物へ行きたい!

と、母からのホットライン。


少し離れたショッピングモールへ。


小一時間の買い物に付き合い、

車を走らせている時に、母がポツリと


「〇〇(息子の名前)元気にしてるん?」

‥‥、連絡ないけど元気にしてるやろ!」

「ひ孫と〇〇とみんなでご飯食べに行きたいなぁ」

「そうやな。行けたらええなぁ」


母には、息子薬物依存症に罹患したので、

家から追い出したとは、伝えられなくて


ずーっと、私は‥、

息子に関しては嘘を貫き通してきている。


勿論、実の姉にも親戚縁者、知人、友人全ての人に

息子の件を必死に隠し続けている。


これは、想像以上にキツイ生き方。


だからこそ、自助グループに通い、

正直になれる時間が私にはすごく必要。


本当に、自助グループに繋がって良かったと

しみじみと思い返せた母との車中の会話でした。


その後、今から免許証を返納しにいかへんか?

と、思い付きを母に提案。


あっさりと、行くと同意した母。

警察署で必要書類を提出しアッサリと返納完了。


担当官から、免許証の替わりに身分証明書が必要なら

五年以内なら手続きできますから!と、云われた一言に

「後、5年も生きてないから」と小さく呟いた母。


私は、心の中で

5年以内に息子を含めた家族全員でご飯食べにいけたらええなぁ」

とツイート。


あっ、俺は、オカンが好きなんや!

と、すごく感じれた瞬間だった。


昨日のミーティング。


先行く仲間のグループのバースディ・ミーティングに参加。

遠方から来られたステキな仲間との交流に心が揺れた。

みんな、いろいろな環境の中で頑張ってるんだ!と。


その夜のホーム・ミーティングも最高だった。


数年ぶりの仲間との再会

初めての仲間との時間の共有

我ら共依存軍団のオッサンズの揃い踏み


狂気に満ちた依存症者との暮らしの中で、

疲弊し、絶望し、生きることを放棄しかけた仲間と

時に、涙し。ともに笑い。希望を噛み締められる最高の時間。


ミーティングに通い続ければ

必ず、想像を超えた贈り物が届けられる。

と、再認識できた今日一日に、感謝。


あっ、俺は、ナカマに惚れてるんや!

と、すごく気づけた共有だった。


T& J


# by familiesofaddicts | 2019-05-31 03:33 | Comments(0)

現実を認めること

ある検査のため病院に行きました。

保険証や医師の紹介状は忘れまいと気を付けていましたが…

診察券を忘れていました。

確か5年くらい前に訪れたと思っていましたが、何と9年も経っていました。


9
年前と言えば…娘の薬物使用を知った年です。

あの頃は自分の体調を顧みず自分を責めてばかりいました。

娘が依存症になった責任を背負いこんでいましたから…


家族だけで何とかしなければいけないと思っている間は、罪悪感で苦しみました。

娘の間違いは私の間違いだと思っていましたから…


彼女の薬物使用が止まれば、何もかもうまくいくのだと考えました。

ですから彼女に対してあらゆる手立てを講じました。


だけど何かが変でした。

どんより暗雲がたちこめている開く扉がない部屋で、右往左往している感じでした。

私こそが無自覚にも娘の依存症の影響をうけていたのです。


初めは依存症に対して無力であることを認められませんでした。

ましてや自分が娘をコントロールすればするほど、逆に支配されることになっていたとは思いませんでした。


思い通りにいかないと悲嘆にくれたり失望していました。

一方で、これ以上悪くならないはずだと思い込もうと現実を曖昧にしていました。


現実は娘が薬物依存症という、私には治せない病であるということでした。

問題を認めることで現実にどう対処していくかを考え始めました。


どうすることも出来ないコトから手を引き、自分の責任の範囲を明確にしました。

娘の回復は彼女の責任であること、私は彼女の引き起こした結果の肩代わりは止めました。


大切な娘との関係を変えていくことは、寂しくもあり不安もなかったわけではありません。


私が何を考え感じているかを自助グループの仲間と分かち合ってきたからこそ、これまでやってこれたと思います。
今では現実を生きることができています。

   Luna


# by familiesofaddicts | 2019-05-30 14:39 | Comments(0)

自分の問題

薬物によって変わっていく子どもとの生活に、
笑顔や楽しい会話、
思いやりの心や感謝の気持ちなど、
いつの間にか無くなっていきました。

次第に心は怒りで膨らみ、
それは相手を傷つける言葉に変わり、
その言葉は自分にもしっかり戻ってきて、
後悔と自己嫌悪というかたちで突き刺さりました。

相手を傷つけ、
自分もまた傷ついていくという、
悪循環の連続だったように思います。

回復のプログラムに取り組むことをしなければ、
問題の解決を先延ばしにしていたのは、
自分だったのだと気づくことがなかったでしょう。

自分の問題を相手の責任のように感じたのは、
相手の問題に囚われ過ぎて、
手を放すことができなかったからなのだと思います。

自分が回復していくなかで、
本人の問題を引き受けることなく
本人の問題から手を引くことで、
元気になりました。

見失ったと思っていたものは、
いつの間にか取り戻すことができたようです。

まだまだ有力な自分が、
回復の邪魔をしようとします。
だからこそ、
仲間の中に居続けることが必要なのでしょうね。

*sheep*


# by familiesofaddicts | 2019-05-29 16:48 | Comments(0)

タンポポの綿毛が風に乗って種子を運ぶように私たちの思いが​苦しんでいるあなたのもとへとどきますように。


by 関西薬物依存症家族の会